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タイトル:会報9月号

平成19年9月


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“星に願いを”

佐藤 栄

七夕信仰は古代中国に初まる。旧七月七日(新八月七日)の夕べ牽牛星(鷲座のアルタイル、日本では彦星)と織女星(琴座のベガ、日本では織姫星)が一年に一度天の川で想会すると言う星祭の伝説と「乞巧尊(きっこうでん)」という儀礼とが混交して七夕の行事となり、五節の一つで陰陽思想であった。日本に渡文化したのは古く天武天皇の天応九年(六百八十年頃)と古説に見ることが出来ます。織女の機織は祭祀に関わる神秘的なものであったことから、棚機(たなばた)の伝来と織の技術者の渡来とともに七夕儀礼も一緒に伝えられたものでしょう。

宮中の五節の一つの祭祀として初められた七夕祭祀は、やがて武家の祭祀文化として組み入れられ、江戸時代には町民、農民の間に家内安全、学業、裁縫、書道等の上達。豊作、豊漁の祈祭事として広まっていった。これらは“広重”の「名所、江戸百景」などの浮世絵に見ることが出来る。

仙台の七夕の事始は政宗公の奨励により仙台藩の年中行事(江戸幕府の年中行事の一つであった)として城下町に広まったことは一般によく知られている。その事は「伊達治家記録」に記録されている。やがて明治新政府の布告により五節句が廃止されたものの、仙台では藩主政宗の奨励が代々城下町の諸民に根強く定着していて、すでに“仙台七夕”として全国に聞こえていたために七夕祭祀の火は消えることがなかった。その後大正、昭和と続いて太平洋戦争で中断するものの昭和二十一年には復活、商人魂の夏祭りとして今日にまでにいたる。仙台七夕は東北三大夏祭りの中でも、だんとつに古い文化のルーツを持っているわけで、これからも大切に伝統様式を守り育てていかねばならない“文化”である。

豪華さを誇る現代の“観光七夕”の形態はそれなりの小史の文化ルーツではあるが伝統的な仙台の七夕は本来各家毎に手作の素朴でつつましい祭祀であり、それ故に“祀”であり 七夕の“心”である。今日その“心”の七夕が見られなくなっているが、七夕の由来や歴史を辿り意味を知って再考すべきではないだろうか!伝統を重視してこそ明日に繋がる“仙台七夕”だと想うのだが。

 

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