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シニアネット仙台 会報へのお誘い(平成14年8月号)
なんでもシネマ(10) 「息子の部屋」の予告編
映画館に行き始めると続けて映画を見たくなる。その理由のひとつは予告編だろう。たった90秒の中に盛り込まれた映像や音、そして決まり文句が、「見に行きたい」という気持ちを起こさせるのだ。
「映画は予告編が面白い」(光文社新書)で、制作に携わる池ノ辺直子さんは、予告編を「不思議な存在」という。本篇とは独立したひとつの作品であると同時に、本篇にたくさんの客を集めるための広告でもある、と。だからこそ本篇よりも面白いと説く。
だが、予告編で見た印象的なシーンや音楽が本篇には存在しなかったり、予告編のイメージと本篇が大きく違ったり−ということがある。独立した作品であり、集客を目的とした広告なのだからと思っても、本来のイメージと違うというのはどうだろう?
新世紀カンヌが選んだテーマは[家族」−ー2001年カンヌ映画祭最高賞のイタリア映画「息子の部屋」(ナンニ・モレッティ監督)の予告編は、この文句で始まった。
息子とのジョギングの約束を果たさなかったために、事故死させたと自分を追い詰める精神分析医の父(モレッティ)、母や姉も違った反応で悲しみを乗り越えようとするが、互いを気遣って逆に溝をつくっていく。思いがけなく、息子と付き合っていたという少女が現れたことで、息子のすべてを知りえなかった自分を許す心の余裕がやっと、家族にも出てくる…。
この予告編は、父子のジョギング・シーンをメーンに、慰めも救いも排した淡々とした音楽を背景に、家族の気持ちを要約した単語のラッシュが続き、「生きているときは、開けてはいけないドアでした」で結ばれる。心引かれる予告編のひとつだった。
イタリア公開の予告編は、ジョギングと家族が車の中で楽しく歌うの2バージョンがあるが、作品名が出るくらいで、あっけなく終わる。この後で見ると、日本の予告編は”つくられた”感がしないでもない。(直)
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