シニアネット仙台PCサロンで、シニア世代のコンピューター活用を支援しているボランティアリーダーたちが話し合いました。初心者はなぜつまずくのか。マニュアルの難しさをどう補ったらいいのか。インターネット博覧会においでのすべてのみなさまに、「高齢化」と「情報化」をテーマに草の根の活動に取り組むNPOの現場の雰囲気をお伝えします。(2000年秋、シニアネット仙台サロンわい・わい一番町)
【フリートークに参加した人々】
すみさん:女性。PCボランティア歴5年以上。シニアネット仙台PC教室の会計も担当。50代。
たいらさん:男性。高度なレベルを平明に伝える名人。新しい技術・知識に強い関心。70代。
うちさん:男性。60代。経済の専門家。シニアは「自由人」であるべきが持論。米国シニアネット訪問。
ひいさん:男性。60代。パソコン通信時代からのPC派。電子メールコミュニケーションの名人。
とうさん:男性。60代。企業人からボランティア人へと転身。米国通。米国シニアネット訪問。
ふじさん:男性。60代。PC雑誌を常にかたわらに。インターネットの世界に強い関心。 |
問い 日ごろ感じていることを自由に話してください。
高齢者の方にはマウスの使い方がやはり難しいようです。特に右クリックができない。何度やってもできない方がいます。教室でそのことだけやっているわけにもいかないのが大きな悩みです。
特に高齢者ということでもありませんが、たとえばワードを使っていると、「先生、画面から表示(アイコン)がなくなった」という質問が必ず出ます。ワードの場合、バージョンによっては、あまり使わない機能は、自動的に画面から消えていくんです。「オートコレクト機能」というのですが、これが初心者にはかえって不親切なので、ワードを教える場合、私は、ワードの設定を全部、変えて、必要なものは常に画面に表示しておくようにします。
そうすると、日本人が使う、ワープロ専用機と同じ設定になるわけです。初心者にとっては、それでいいと思う。教える側の人も、ワードにそうした機能があることを知らないと、現場が混乱してしまいます。困ったものです。多くの人に一斉に教えるには、一台一台を全部設定し直さなければならないのですが、それでも不必要な質問に、いちいちこたえる時間を考えると、やったほうがいい。
問い マニュアルはなぜ分かりにくいのか。
アメリカさんが作ったものだからね。向こうでは非常に使い勝手がいいのだろう。日本人も、もちろん習熟してくれば、その便利さを生かし始めるが、最初から分かっている人向けにマニュアルを書いても、それが初心者に分かりにくのいは当然だ。
コンピューターを使える人、仕事などに生かしている人が解説を書くから分からなくなる。その意味で、コンピューターの解説書を書く人にはよく考えてほしい。
そうですね。分かる人向けに書いているんですよね。だから、分からない人にとっては、まったく分からない。メーカーも、作った解説書を分からない人に説明して、分かってもらえるかどうか確かめればいいと思うんですよね。なぜ、そんな当たり前のことをやらないのか。
どうせいろんなソフトをプレインストールするのだから、日本人向きに余計な機能をカットして、慣れたら使いなさいということにすればいいい。
僕もそう感じていました。ただ、ひょっとしたら分からないのは、自分だけかなと思うこともあって、口に出すのがためらわれることがある。あまり的外れなことを言っても、仕方ないし…と。
問い 画面から表示(アイコン)がなくるということをもっと具体的に説明してください。
メニューバー、ツールバーがたくさんあって、オートコレクトをチェックしておくと、あまり使わないものは、コンピューター側で自動的にひっこめてしまうんですね。初心者は、ほとんどひとつの機能しか勉強しないもんだから、片っ端からなくなってしまう。
使いたくなったときに、その機能を使えるようにしてくれればいいんだ。
もちろん、使いたくなったらしかるべく「クリック」すればいいんですが、そんなこと、最初から分かっていりゃあ、苦労はしない。
問い 画面いっぱいにいろいろと、小さなアイコンが並ぶよりも、文字で書いてあった方が使いやすいことはないですか?
アイコンのところにカーソルを持っていくと、文字が出て、どんな機能か分かるようにすることもできますが。
それだって、どのアイコンにカーソルを当てるかが分からなければ使えませんよね。
うーん。そんなこと覚える余裕なんかないですよ。コンピューターというのは、どうして私たちの大事な時間を食うようになっているんでしょう。
ひいさん、ソキウス(仙台市内にある精神障害者の授産施設)のコンピューター導入を支援してくださったので、だいぶ感想があるんじゃないですか。
そうですね。まず理屈通りはいかないな、という感じですね。非常に立派な教科書があり、それをもっと立派にすることも大事だが、それで大学生の講座のように、教えればそれで終わりというわけには決していかない。特にシニアの人、特にシニアの年齢が上の方の方を対象にするときは。
10回同じことを聞かれても怒るな、という話があって、笑い話のようになっていますが、決してそれが笑い話ではなく、あたりまえなんだという、気構えのようなものが、教える側にないと、いけない。
僕は、たまたま年寄りの上の方の年代なのでよく分かるが、10回言っても覚えられない、というんじゃないんです。10回言っても、聞いていない人がいるんです。そのことにいちいちカリカリしていたら仕事にならない。このあたりをまず心してかからなければならないですね。10時間あれば、初歩で覚える文字の入力はできるようになるだろうと考えていたが、それも必ずしもそうはならない。考えていたよりも、面倒だということがありますね。
問い 10回言っても聞いていない人は、何をやってるんです。そのとき。
その人には、自分のやりたいことがあるんですね。それしか考えていない。表(ひょう)なら表だけをつくりたいんですね。罫線はこうやって引くんだ、という、具体的なことはあんまり頭の中になくて、とにかく表をつくりたいという思いが強いようです。
それと、教える側に立ってみて非常にロスが大きいと感じるのは、日本人の場合、コンピューターを使うときは、ローマ字に“換算”して打ち込んでいきますよね。そのあたりがアメリカ人がコンピューターを使う場合と、ちょっと違うのではないかと思います。
この部分で非常に多くの時間を費やします。お金を出して学んでいるのに、そういう初歩的な段階で時間が過ぎるのは、もったいないような気がする。でも日本語の入力ができないと、何も始まらないので、やめるわけにはいかないんです。
ソキウスでは、FDにあらかじめ文章を入力したものを使ってもらい、30行のうち10行だけ自分で打ってください。それで入力が終わったことにして、次に編集してみましょう、ということをやったんですが、教える側の都合で、あまり安直にやってもいけないのかな、と。かといって、30行打ち込むのを、じっと待っているのも、あまりにもロスが多いですね。なんとかうまい方法がないですかね。辛抱強くやるしかないや、という感じですね。
「たいらさんさんのアイデアで、出前教室では、自分で考えた文章を打たせることをやってみました。自分が考えた文章だと、思い入れがぜんぜん違うようですよ。用意された文章を打ち込むのとは違う。
これまでインパクトが強かったのは、アメリカのコンピューター教育の方法です。つまり最初に「パソコンはあなたの家来、友達だよ」と教え込む。あなたがきちんと教えてやらないと、パソコンは反応しないよ、ということえを教えるんですね。そのために「ウインドウズ」について最初に教え込む。アスキーで出した英語版のテキストを、ある方からお借りして読んだ。それから私の教え方が変わりました。
ウインドウズをきちんと理解できると、ワープロ、表計算など、なにがきても分かる。時間がかかっても、いいからまずウインドウズを教えなければならないと思います。
問い 最初からウインドウズを勉強すると、概念的なことが多いので、それだけで初心者は嫌になるという考え方もあります。意見が分かれそうですね。
いろんな教え方があっていいと思いますね。どのような教え方がいいかについての折り合いは、長い間かけて受講者が決めるでしょう。
独学もいいんだが、教室に行って学んだ人と、行っていない人の差は出るように思う。やはり教室というか、学校は大事ですよ。
どうでしょうか。コンピューターは自動車と同じだと思うんです。構造知らなくても、車を動かすことはできる。構造も勉強したい人は、勉強して車を動かしたらいい。ただ、構造も知らないと車を走らせられないというのは、昔の話であって、今は、あまりそっちばかりこだわる必要はない。
たとえばいまさんは、一体パソコンを使える人なのだろうか、使えない人なのだろうかという点でいえば、私は使える人だと思う。コンピューターの学び方は、その人の目的によって、決まることではないでしょうか。「構造」も含めてどんどん勉強する人にとって、楽しみがどんどん広がることもその通りだと思うが。
【注】 いまさんはPCサロンのメンバー。電子メールもホームページも利用するし、文章も書くが、コンピューターだけに時間を割く余裕は、シニアにはない、というのが持論。
ウインドウズの内部を詳しく勉強するということではなくて、タスクバーの役目など、基本的なことはきちんと覚えた方がいいということです。最近ではメディアプレヤーの新しいのが無料で入ってきたりして、ウインドウズそのものがアプリケーションを抱える傾向が強まっている。ワープロだけでいいという人は別ですが、その先、エクセルなどもやってみようか、という人は、ウインドウズを覚えた方がいい。
問い では、コンピューターだけに時間をとられるのはもったいない、なぜ高齢者に使いやすいコンピューターがないのか、と疑問に思いながらも、コンピューターを使ってみたいと考える人に、どこまで教えたらいいのか。
私も70歳です。75歳以上になれば、平均以上の年齢なので、もうけもんだと思う。だからこそ、むしろもっともっと突っ込んで知りたいですね。覚えたら終わりじゃ面白くないもの。「出前」で用意する教材も、とうさんの提案は、パワーポイントでどうでしょうか、ということでした。僕は大賛成でした。
今、おっしゃったことは非常に大事です。ここ(シニアネット仙台)の教育方針は、一体何か、ということなんです。つまり若い人が学ぶのと、われわれ先がない人間が学ぶことでは、違いがある。そのところを明確にしないと意味がない。
アメリカは明確なんです。つまり「ウインドウズ98」という授業があるんです。われわれはまだそこまでメニューをそろえていないだけです。ワープロ、パソコン入門を基本にしている点がアメリカとは違うだけだ。
大学でも教えないですよ。ウインドウズ98のようなことは。入門の部分では、やるかもしれないが。
少なくともSeniorNet(シニアネット)の場合は、1日1時間半、1週間に1回、8回でやるというペースの中に、ワード、エクセル、ウインドウズもあります。
それと、案外、重要なことかもしれませんが、SeniorNetでは、統合ソフト「ワークス」を中心にしている。一つの教科書でワープロ、データベース、表計算も全部教えられる。ウインドウズは、ウインドウズでやっているんですね。
私は、今でもそうなんですが、仕事をしていたとき、職場には、いざとなったら手伝ってくれる人がいっぱいいる。OS部隊、アプリケーション部隊と別々に育つので、OSのことなんて、分からなかったらだれかに聞けばいい。
実はいまだにそれが抜けなかったが、教える側に立ってみて、ああ、それでも覚えなければならないことは確かにある、とつくづく分かってきました。
問い コース設定で解決できる問題だということですね、
そうです。
「基礎学部」をどの水準に設定するか、ですね。いまさんも、あのペースではせっかくパソコンあるのに、もったいないので、もっと頑張ってほしい(笑い)
問い 教室では教科書はどのように使っていますか?
教科書は両方お渡しし、後で読んでくださいと言って、すぐにワードに入っているんです。今は。
集合教育ではなくて、マンツーマンを基本にしているので、時間もやっている授業のレベルも、みんなばらばらなんです。受講者が一緒の時間に来るのであれば、まず基本を一斉に教科書を使って教えることも可能ですが、今はマンツーマンの精神を大事にしている。
出前教室では、それを3日かけて、たいらさんが教えたんです。
「ゆったりコース」プラス「タスクバー」「ステイタスバー」の役目などを教えています。ウインドウズってのはこういうもんだよ、ということがすんなり入るようにしている。
とにかく日本語を入力できるようになってもらうのを、最優先に考えているので、すぐにマウス使ってゲームやったり、「テニス大会」のワードの教材に入って、文章をつくることを教えています。テキストつくる前は、ウンドウズの市販の本を買ってもらったこともあるんですが、分量が多すぎて、ほとんど使えませんでした。
出前では、テキストのレジュメだけ渡して、きょう教わったことについて、自分であすまでに書いて発表していただくことをやっています。コースが完了したときは、自分で書いたニュアルが完成するわけです。最初に本を与えてしまうと、あまり上達しないような気がします。
自分で書いた文書をワープロで打って、印刷したら非常にうれしかった、ということになる。そのあたりがマニュアルのポイントではないかな、と思います。
こちらはばらばらですよね。対象も、教室の時限も1時間の人もいれば、5時間の人もいる。教科書が共通なだけです。どこの時点にその人がいるかが、みんな違う。
「とにかくメールを使いたい、インターネットをやりたい」人がいるのですが、そういう方は文字も打てないので、文字を打つ練習だけはしてください、と伝えます。そんなケースが最近は多いですね。
問い コンピューターを使うには、文字を打たなければならないということは頭にないのですか?
今、言われているインターネットとは、どういうものじゃ、ということで来るんですね。そういうこと知らないと、置いていかれるということが、教室に来る最初の動機だったりするわけです。
私はローマ字なんか簡単だよと言っている。「a」「i」「u」「e」「o]の5文字だけ覚えればいい。あとは「ka(か)だったら、「k」を足せばいいんです。
かな入力やっていた人でも、インターネットとメールやるんだったらローマ字の方がいいですよ、と勧めたら変えた人もいます。どうしてもローマ字入力は嫌だという人が、今でも2、3人はいます。
問い シルバー産業が重要だと、ずいぶん長い間、言われてきましたが、高齢者向けの製品をつくっても、実は売れるかどうかが分からない。高齢者自身が「シニア向け」とか「高齢者向け」を敬遠する面があるので。コンピューターが難しいので使えない人と、使える人をつなぐのは結局、人間なのかな、と思う。NPO的なボランタリーな仕掛けが必要なのかもしれません。
キーボードだけ変えればいいと思うんですね。今では、差し替えが簡単にできるようになったので、インターネット用のキーボードとか。コンピューター全体を高齢者用につくるといっても、そんなに簡単なことではないので。テンキーだけでもいいと思うんですね。僕でもいらないキーがいっぱいあります。そんなものは全部外して、使いやすいキーボードを開発できないののでしょうか。
日本式のキーボードの研究、東大の先生がやりましたよね。普及しなかった。残念ですね。
ボランティア的なものが介在しないとできないのでは、高齢者の間にコンピューターはいつまでたっても普及しないことになってしまう。それを何とかしようということで、いろいろやっているのだと思う。確かに人間の力は必要だが、人間は何をすべきかが問題です。できない人のために、だれかが通訳してあげたり、操作をしてあげるのでは、できない人はいつまでもできないことになってしまう。
コンピューターはOSでもなんでも英語です。英語教育をなされなかったわれわれ世代、それ以前の人にとっては極めて難解だ。
ある程度、シニア用、ジュニア用と種類が分かれてもいいと思う。たとえば眼鏡、これは老眼鏡だ。これをかけることについて、抵抗がある人もいると思うが、これはもうしょうがないですよね。見えないんだから。高齢者向けというものに、あまり差別感があるとは思えないですね。だからコンピューターだって高齢者用があっていい。車だっていろいろな種類があるんだからね。高齢者に親しみやすいものが必要だ。
ビジネスマンが企業活動の中で使いやすいもの、学校で使う、ジュニア用、それにシニア用があってもいい。だんだんそうなると思うんですね。
われわれとしては、シニアにとって、こういう部分に注意してほしい、ということを、われわれの人生の中で、提案、提言していくのが非常に重要なことだ、と思う。
そう意味で私も賛成だ。ひいさんとちょっと違うところは、企業は、営利団体ですから最新の技術を使っていいものをつくっていく。ハンディキャップを持った人たち、もしくは、マスプロダクションに乗れない人たちがなんとかやっていけるような環境をつくっていくのは、政府かNPOの役割だと思う。
お金の使い方にもよる。100人のために使うべきお金を一人のためにかけていいというのは、社会的なアンバランスにつながるので、それは避ける。そこを政府、NPOがどこまでやるかを探っていき、それを企業がサポートするというスタイルが重要なのだと思う。
そういう観点から、高齢者の使いやすいパソコン、カリキュラム、教材を考えるべきだ。教わる方も、教える方も高齢者であるという前提で、どうするかということが、予算の範囲と企業の技術協力との間の最適解があるような気がします。
問い 市場に出ていない技術は確かに企業側に潜在している。高齢者、障害者まできちんと届くのかどうか。今のままでは無理なのではないか。
私は無理ではないと思う。
僕も変わっていくと思うな。
私が働いていたコンピューターメーカーでも、今、製品になっている音声読み上げソフトだって、私が現役のとき、既に技術的に重要な部分はできていた。言葉のレベル、スピード等の面で商品化できなかったのが、今、製品化されている。あれだって、実はまだまだ良くなる余地は残されている。
それが進まないとしたら、そこからがわれわれの出番かな、と思う。われわれには動けるチャンスがある。パテントを外に出すとか、受けざら皿さえあれば、できる。働きかけがあれば。問題は、そういう目をもって動く、母体になるNPOがあるかどうかだ。
製品をつくる側が若すぎる。対象がシニアなのに、つくる側がシニアではないので、いいものはできないのではないか。われわれシニア世代がパソコンをつくる側に回ると、いいものができるのかもしれない。
そのために、われわれがあんなものがいい、こんなものがいいという具合に提案していくことが必要だ。
われわれの今のレベルを考えると、われわれがメーカーを動かせるとしたら、どういう点か、ということになる。まずつくるノウハウはない。デザインするノウハウもない。でも、単なるユーザーではなく、教える過程で、教えるサイドからデータをそろえてメーカーに訴える。それでメーカーを変えるアプローチしかないと思う。
そのためにも、われわれ自身も、お客さんである受講者のニーズも、そこで吸い上げられる。単に売れるか売れないかではなくて。
ひいさんが言われたように、ファッションで買う人はいる。でも、それは本当に使えているわけではないのだから、教えながら、教わりに来る人の意見を吸い上げることができる。それはまたとないチャンスなんだ。
われわれがそうした声を吸い上げることができる仕掛けも、テキストを通じてフィードバックできるように、われわれ自身ができればいい。
問い アメリカのSeniorNet(シニアネット)もそのあたりに取り組んでいますか?
やっています。
SeniorNetがやっていることを、どうわれわれが学ぶかが重要だ。同時にこちらがやっていることを、向こう側に伝える。パソコンに限った話ではないが、テキストもカリキュラムも、日本ではジュニア向け、企業向けです。シニア向けの教科書、カリキュラム、教え方というのは、存在しない。でも、だんだんシニア向けのそういうものが必要になっているのは間違いない。
ここでの問題は、高齢者をターゲットとしたビジネスの話なのか、それとも福祉の分野なのだろうか。あるいは、こういうものを楽しく覚えて、みんなで利口になりましょう。そして政治に向かってものをいえるようになりましょうということなのか。
難問ですね。
簡単ですよ。ビジネスなんかわれわれにやれるわけない。あくまでシニアネット仙台の趣旨に沿った流れで進んでいるのだから。
うん。ビジネスではないね。ただ、なんらかのビジネスにつながる可能性はある。同じ思いはみなさんにもあると思う。
問い ではNPOとビジネスとの接点をどう持ったらいいか。
とうさんが言ったように、われわれの方でつくっておいて、メーカーにアピールに行くことが大事だ。そのためには、いくつになっても、先に進もうという気持ちがないといけない。これ覚えたら、次はあれ。これはこうやったから次は、ああいう教育資料をつくろうということがないといけない。もうここまでつくってあるから、いいや、というのでは駄目だ。
子供たちに教えたときに気付いたことがある。とにかく新しいことを、一生懸命とりいれると、彼らはものすごく感動してくれるんです。ウタダヒカルの歌、画像を教育資料に使った。彼らに関心のあることをうまく使えば、ここまで食いついてくれるんだ、なということが分かった。後で聞いたら、その場に不登校の生徒が来ていたというんです。いやあ、パソコンやってよかったあ、と思いましたね。
これがインターネットだけでいいや、と思っていたら、できなかったんですね。家に帰ってワイフに「いやあうれしかった、うれしかった」と言ったら、ワイフが「一杯だけだよ」と。
祝杯ですな。
同じ事をやるにしても、年とればとるほど、エネルギーは必要になりますが、わたしたちが努力してつくったものは、若い世代を雨後下賜す、メーカーにも訴える力を持つのではないか。
問い シニアがどういう切り口でコンピューターに入り、その先に何を考えているのか。米国のシニアネットについて、とうさんさんなにか感想、見解のようなものはないですか。
一言で言えば、コミュニティー、仲間づくりが基本だと思う。日本はいろんな言い方があるが、日本ではたとえばうちのアパートがそれぞれ孤立しているといったって、割と付き合える仲間ができやすい。
アメリカと比べるとですよ。命の電話やっていると「私は孤独で」という声がどんどん入ってくるが、日本の場合は、社会的に問題になるほど、孤立してはいない。しかし、アメリカは高齢者の社会的孤立がある。したがって仲間がほしい、友達がほしいときの、最大の道具がパソコンのコミュニティーなんですね。
オンラインのコミュニティーとオフラインの仕掛けを両方使っているです。海行ったり、山行ったりのコミュニティーとバーチャルの世界をうまく組みあわせている。肝心なことは、バーチャルがきっかけだということです。それがものすごく大きいことだと思います。
問い バーチャルの世界にそれだけの力が本当にあるのかどうか。
あるんですね。伴侶をなくした人たちのコミュニティーができるってあたりを見ていると、よく分かる。それらの人たちが、バーチャル世界での話し合いで癒される部分がある。それが国民性だと言われると、それ以上、話は進まないのだけれども、カウンセラーに自分の話を聞いてもらって癒せる。喜びは人に話すと倍になり、悲しみは人に話すと半分になる、という、あれを実現している社会で、パソコンが発達し、今、インターネットが生活の中に生きている。
「コミュニティーエクスチェンジ」という、キーワードで取り組んでいること、それが非常に重要なことではないか。コミュニティーがあるとか、ないとかといういこともあるが。
日本で「コミュニティー」というと「町内会」とか「会社人間のグループ」とか、いうようになる。「地域」という考え方はない。あとは排他的なグループですね。
コミュニティーから逃れるとか、コミュニティーを超えるといったことだけを考える。
コミュニティーを自分たちで作らなければならないというのと、お役所や、だれかがつくってくれるだろうというあたりの違いが大きい。仲間づくり、コミュニティーづくりというときに、そのあたりが生きている。
パソコンがものすごく生きているという、実感は、パソコンの使い方から出てくるように思う。
日本ではそのあたりが弱いから、なかなか進まない。基本的にパソコンは、自分で選びに行く話なんです。使う人が主役だ。待っていてはどうしようもない。どうするんですか、やってくださいというのでは話にならない、インターネットは、まさにこちらから選択する意思が働かないと、どうしようもない。
日本人はディベートができない。言葉で組み立てることができない。
もともとパソコン通信で、つりのフォーラムに参加していた。圧倒的に東京、関西。東北でだれか返事くれないかな、と思うが、ほとんど返事が帰ってこない。
もっともそんなとこで話しなくても、10キロぐらいの範囲に子も孫もいる。そんなことですからメールでなにかやりたいなんてことはない。
でも距離を超えるとしたら、これほど強いものはない。
問い 必要な人に必要なだけのサービスをするのが基本。教室に来て、そのコースを終了しな人に、さらに何をカリキュラムとして提供したらいいか。
単身赴任、娘が遠くに離れるように、東北もなってきている。急速に。そうなると、やはりインターネットでコミュニティーをつくる必要性が高まる。逆に東京、神奈川の娘の方から「やりなさいよ」といわれ、インターコミュニティーに引き込まれていく。そういう動きは出てきていると思うね。
向き、不向きの前に切迫感があるかどうかも重要だと思う。たとえば市の情報が半分ぐらいオンライン化している。「デジタルオフィス」の話もある。しかし、今のところ一般市民に切迫感はないと思う。で、たいらさんがやってきたことが生きてくる。今、何をしたいのかを、受講者に希望を聞いて、先生が次のときまでにあらかじめ、メニューをつくっておくようにすべきだ。
教室でも一応、希望は聞く。でも初めからやりたいことを言えるのは、半分ぐらい。
初めからコンピューターで何をやりたいかというから、そうなんで、その人が美空ひばりが好きだといったことを、あらかじめ聞いておき、教えるさいに少しだけそれを潜り込ませる工夫をすることで、その人のやる気が違ってくると思うんです。
「パソコンで何ができるの?」「パソコンで何するの?」の二つの質問があると思います。「何するの?」という質問では、音楽をダウンロードしたいという人が多いんですね。
そのことができれば一番いいのだが、担当が持ちあがりができるかどうかという問題もある。
だから、事前に受講者の希望・関心を聞いてつくったリストが生きる。そのリストに全員が目を通し、受講生の希望・関心に沿った指導を心がければいい。お客様志向を、われわれもやらなければならないということです。
|