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デンヴァーの風
その16 感謝祭 秋山晃通
【日米シニア井戸端会議 関連特集】
米国コロラド州デンヴァーの秋山晃通さん(73)からエッセー「デンヴァーの風」が届きました。秋山さんは、シニアネット仙台運営しているシニアのための電子メールコミュニケーション「日米シニア井戸端会議」に参加しています。エッセーは不定期で続きます。 |
私、南カルフォルニアで26回、七面鳥料理をいただいたが、ほとんど甘口の感じでした。
正直いって好物とは言えません。白身で脂が少ないから通常、牛肉を食べている人は、好むのかも知れません。ともあれ、今年は、すこし工夫されたターキーを味わいました。
5ガロンアルミ缶に、3ガロンのピーナッツオイルを入れ、325F°の熱油の中に16ポンドのターキーを漬けて四十五分間空揚げにしました。危険を回避して、裏庭の中央にプロパンガスボンベをセットして家長が、十一月第四木曜日の夕方から、家族のために取り組みます。
主婦は、野菜やナッツ類を入れた甘口料理を作りました。孫二人は、まだ幼少なので両親の作業を眺めています。グランパの私は何も手伝えないから、ゴミの回収だけはこまめにやりました。
午後八時、食卓の上座に主人(三十四歳、"ショーン")が毅然として坐ります。妻(二十六歳"メロディー")はキッチンとテーブルの間で主人の右隣に席をとり膳を整えます。両サイドは孫が補助椅子に架け、私は家長と対座の下座にかけました。
ショーンが黙祷しました。家族は家長の真似をするが祈りの言葉が流れないので、私は、五十年前、東京YMCA少年部で覚えた「ルカ11・2〜4」を日本語で唱えました。言葉は理解できなくても敬虔な祈りの響きは、彼らにも通じたようであります。最後の締めは「アーメン」だから問題なくしぜんにその雰囲気は醸されました。ショーンは「パパさん、ありがとう!」と日本語で言いました。
こんがりと揚げられたターキーは、家長たるショーンがナイフを入れて、一人一人にサーブしました。(白身の肉に、大注射器で好みのペパーが挿入されているので、かるく舌を刺激し、口中に残るその香りは初めての味でありました。これは米国南部のレシピとか。それに、今年のパンプキンパイは、豆腐を混入したものでありました。ショーンの母がロサンジェルスで二年前に工夫したパイであります。栄養バランスも、味もなかなかいけました)
私は、その席を撮影するとき、六十年前の東京下町の正月を思い出しました。意気軒昂な両親、叔父叔母、私の姉十九歳の女三人が髪結いも和服も艶やかに席を飾っていました。膳が整い、父が二階からおりてきて上座に坐るとき、袴の膨らみを手刀で叩く鋭い音が、小さな儀式の始まりの合図であります。全員が、ちょっと後ずさりして、母の新年挨拶で秋山家は明けました。
「お父様は、私たちのために昨年も、ご苦労と戦ってくださいました。こうして、つつがなく無事に元旦を迎えられたこと、家族を代表して御礼申し上げます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。」そこで、みんなの意気と声は一つとなる。
「明けまして、おめでとうございます!」
「おめでとう、おめでとう。今年も、それぞれ力を合わせて...頼むぞ!いいな...」
その後、お屠蘇の挨拶、母が、おせち料理を子どもたちの小皿に盛り付けます。「まめまめしく、今年も働くのですよ」といいながら黒豆をとる。「なにごとも喜こぶに結びましょう」などと言って昆布巻きを摘む。その会話は毎年同じでした。それは戦災に遭うまで続きました。
今年は、米国の感謝祭の習慣も素晴らしいと意識しました。イラク問題で苦悩している米国の大統領が、一家の家長として前線基地へ危険を冒しても訪問し、その家長たる意気を示したことと。我が家の食卓に感謝祭の歴史的なことは、ともかくも、天地自然の恵みに対する感謝の祈りと、家長とか大統領の意味というものに、私は、いまの日本国に思いを馳せながら、その感慨に更けた一夜でありました。(コロラドの感謝祭の夜は、外食店は閑散で、ほとんどの各家族は静かに七面鳥を中心に過ごすようです)
(続く) <戻る><Top>
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