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デンヴァーの風
その15 豆腐が米国で 秋山晃通
【日米シニア井戸端会議 関連特集】
米国コロラド州デンヴァーの秋山晃通さん(73)からエッセー「デンヴァーの風」が届きました。秋山さんは、シニアネット仙台運営しているシニアのための電子メールコミュニケーション「日米シニア井戸端会議」に参加しています。エッセーは不定期で続きます。 |
飽食、肥満大国といっても過言でない米国は、いま「医食同源」ということに注目して、大衆が日本食や薬草を摂り出しました。とくに「SUSHI」「TOFU」「SOYSAUCE」という単語は都市の一般家庭の中に定着したようです。
デンヴァー市での豆腐開拓史概略。
記録としては、1926年(大正15年)前後に、当地に移住した一世が豆腐を製造していたようです(写真の「石うす」が証拠)最初は、発想をした家族か仲間で始めたのが、商売になったと思います。(太平洋戦争中と戦後混乱期の状況は省略)
 | | 大正の郷愁 |
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| 日本マーケットで |
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| 山本さんのビル。日系人の誇り |
現在の『DENVER TOFU』のオーナー、山本晴久氏(慶応大学卒)は、日本の某企業で約10年間サラリーマンを経験しましたが退職して、企業資金などまったく持たずに渡米しました。数年は何を興すか模索しましたが、デンヴァー市の戦前一世が興した豆腐屋を二世が引き継ぎ細々と製造、販売をしているのに着目しました。
1973年(昭和48年)に、その権利を山本さんは買い取りました。3年間は停滞期間でしたが1976年ごろから、製造、販売など運営全般に亙って研究しました。その努力は実り、デンヴァー市界隈の日系人が山本さんが作った豆腐を食べるようになりました。
同時期にカルフォルニアでも、『ハウス食品』の豆腐産業は全米制覇への確実な歩調を整えていました。
1988年(昭和63年)には、山本さんは、現在のビル(写真参照)を土地ごと購入しました。(デンヴァー市中心から約2マイル北の倉庫街、鉄道の路肩地区)現在は、デンヴァー市界隈の米系マーケット約100軒に、諸製品を卸しています。『DENVER TOFU』として、サウスダコタ、ニューメキシコにも商品は進出しています。ロサンジェルスの『HOUSE FOODS AMERICA CORP』の商品は、現在、全米の、ほとんどの都市に普及されています。
木綿、絹ごし、焼き豆腐が主体で、揚げ、厚揚げ、タマゴ蕎麦、ラーメン、豆腐野菜のエッグロール、海老玉ロール、ギョウザの皮、ワンタンの皮、エッグロール、糸こんにゃく、こんにゃく、などを約7名のヒスパニック系と1〜2名のニグロが、早朝から夕刻まで、ゴム長靴を履き前掛けに包まれたオーナーの陣頭指揮のもと、清潔な環境の中、近代設備を駆使して諸製品の製造に取り組んでいます。
山本さんの豆腐は、防腐剤でなく加熱殺菌処理をしています。家庭用冷蔵庫内(1〜5℃)でも約三ヶ月は保存に問題はないようですが、商品扱いは一ヶ月以内を賞味期限としています。
素材の大豆は、有機農法で粒の揃った良品を仕入れています。ただ、苦汁(にがり)だけは、日本産が一番よいそうです。(雪花菜=おから、はほとんど捨てられてしまいます。余談ですが、私など戦前、中、後とオカラで空腹を慰めたものです。アサリや揚げの端をいれたり、牛蒡や人参を入れ、醤油やごま油などで味付けしたものは、結構、酒の肴にもなりました)
それと、近年、大流行しているのが、豆乳です。『SOYMILK』と称して、米国系マーケット、牛乳商品の販売用冷蔵庫の中でカラフルなデザインのボール小箱が主役になっています。米人は、木綿、焼き豆腐など固いものが好きです。卸で返品ということなど、まず無い状況だそうです。
(続く) <戻る><Top>
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