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デンヴァーの風 その11 合気道 秋山晃通
【日米シニア井戸端会議 関連特集】
米国コロラド州デンヴァーの秋山晃通さん(73)からエッセー「デンヴァーの風」が届きました。秋山さんは、シニアネット仙台運営しているシニアのための電子メールコミュニケーション「日米シニア井戸端会議」に参加しています。エッセーは不定期で続きます。 |
デンヴァー界隈で余生を活かしたいとねがい移転して半年が過ぎた。
太平洋戦争が勃発する以前から、北米に移住していた日本人の多くは、カルフォルニアとコロラドに集中していたようである。したがって、いろいろな日本文化も移植された。
日本の古武術は、日系人一世、二世の開拓の難壁を乗り越える心身の支えになったといえる。今、米国人のインテリ層で武道の知識がないという例は少ないであろう。知識だけでなく畏敬し、暮らしの中で心身鍛練にとりいれている人が、年々、増加していると私はみている。
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| 田中征治氏の郊外道場 |
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| 本間学氏の道場「日本館」 |
米国では、東洋の武道を一般会話としてマーシャルアーツ(Martial arts)と呼称している。
ロサンジェルスは当然だが、コロラド州にも各種武道の道場が多いのに驚いた。私も20年前に合気道を約3〜5年ほど夢中に習ったことがある。以後、道場に通わなくても、毎日の健康管理として合気術の準備運動を実行しているから、出来れば復帰したいと思い電話帳の「マーシャルアーツ」の掲載ページを捲ってみた。
なんと!「空手」約20ヶ所。「Taekwondo」12ヶ所。柔道3ヶ所。柔術2ヶ所。少林寺(KungFu)3ヶ所。「Brazilian Jujitsu」2ヶ所。「Taichi」3ヶ所。「KicBoxing」1ヶ所。拳法1ヶ所。「忍術」1ヶ所。忍法体術1ヶ所。その他、「Martial Arts Academy」という文字と住所、電話番号だけの案内が約10ヶ所もある。
では、「合気道」? デンヴァー市に道場が約5ヶ所在った。コロラドの学園都市で有名なボウルダー市にも在る。嬉しいことに「合気道道場」は、他武道には無い大きく立派な道場がデンヴァーの中心地に一つ(日本館)在る。ボウルダー市の立派な道場は、池田さんという高段者が運営、指導をしていると合気道デンヴァー地区開拓者(田中征治氏)から聞いた。デンヴァーにも立派なビルの中に仏教会が在って、その体育館(バスケットなど)で体操マットを敷いて鍛錬する。
コロラド州に「合気道」を普及した二人のパイオニアの実話を記す。
#1「田中征治」 氏は、デンヴァー市に今から約40年前に来た、早稲田大学で合気道部監督にまでなった。当地に一番最初に根をおろした人といえる。もちろん、戦前の一世、二世で柔道、空手、剣道を身につけていた人はたくさんいたであろうが、当時の排日運動の荒れ狂う世相では道場を作って米人にまで教える人もいないし機会も時間もなかったであろう。
田中さんは、合気道創始者である植芝盛平翁を引き立て右腕となって活躍した富木謙治氏の指導を受けている。(富木氏は、嘉納治五郎の薫陶を受け柔道8段、合気道8段、早稲田大学教授)彼は、最初は仏教会(36年前)の体育館で、ひとり、ふたりを相手に合気道で自己管理を楽しみながらスタートした。次第に噂、評判が広がり青い目もふえていった。武道家プロとしては食べていけない。彼はハワイ大学も卒業しているので保険業務で生業を確立して行った。現在、田中さんは、数箇所の道場で指導にあたっている。富木謙治氏の合気道は、実戦的なものを考慮しているので、試合もあって段位を与えている。
月日は流れた。そして今から約27〜8年前が、ひとつの大きな節目といえる時期となった。私のライフワーク「日本浪越式指圧」もロサンジェルス、ダウニー市に上陸した頃である。
#2「本間学」氏は、コロラドスプリングス米軍基地で働いていたが契約も切れて独立の道を選んだ時であった。彼は、デンヴァー市ダウンタウンの片隅に事務所を借りた。仕事は、細々であるが、事務所を合気道道場にする決意をした。資金などないから、工事現場から板など拾って来て、一人で釘と板にとりくむ毎日である。延べ千平方米に近い道場を作る過程でも、お弟子さんは、ひとりふたりと増えて行った。食事にも苦労した。付近で摘める雑草、ホトケノザのおひたしと白米のご飯だけの暮らしが続いた。その黙々と努める彼の行為は、門下生を動かした。無償で彼に協力し、廃物利用でもまがりなりの道場ができた。彼は、以後、茶道、華道のコースも作った。今から約17年前には、この、ジャパン・ハウス・カルチャーセンターには、年間4,500人の生徒が通い、合気道のお弟子さんは200人となっていた。
この成功の蔭には、副館長を勤めた菊地裕さんの存在である。4年間も無償で本間さんに従った意気があればこそである。現在は、立派な道場と、日本料理を供する和風作りのレストランも兼業して確固たる運営をしている。
本間さんの、合気道は、藤平光一氏10段の派と似ている。大本教のしきたりを年に何回か行う。「ト ホ カ ミ エ ミ タ メ!」と全員が、数十分も右手で鈴を振りながら合唱を繰りかえす。植芝翁晩年の境地に近付かんとする「修業」は正月の恒例である。合気道練習の中に、「天津微手振」をいれている。そして、植芝翁の嫡子、吉祥丸も藤平光一一派も、試合を禁じているところが特徴である。
私が習ったのも藤平氏直弟子からだったので、ロサンジェルスで出口王仁三郎の「神道」の「三種祓」を元旦に体験したのは奇異に感じた。日本にいるとき、見たことも聞いたことも無いことを異国の地であじわう因縁に感慨は一入であった。青い目・ヒスパニック系・黒人が正座して神道の「業」に疑念も露にせず、心身の鍛練として受け入れ、熱中している姿を見ると、私は日本武道と古神道は世界平和への道の原点に感じた。
(続く) <戻る><Top>
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