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デンヴァーの風 その8 富は安穏か 秋山晃通
【日米シニア井戸端会議 関連特集】
米国コロラド州デンヴァーの秋山晃通さん(73)からエッセー「デンヴァーの風」が届きました。秋山さんは、シニアネット仙台運営しているシニアのための電子メールコミュニケーション「日米シニア井戸端会議」に参加しています。エッセーは不定期で続きます。 |
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| 筆者とRed Rocks |
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| 山腹の野外劇場、地平線中央、デンヴァー市 |
とにかく、わたしの観察内では、デンヴァーと似た情景はなかった。景色と豪華さだけの優劣はいえない。それぞれに個性のある、米国ならではの、正義と不正。美と醜。努力と怠惰。建設と破壊。進展と衰退がある。それらの善悪まで論じて、いまの自分に問い質すことはむずかしい。しかし気にかかる。
ともあれ当地のものは、邸宅建造物と庭園と余裕ある舗装道路。広大のなかの草木花と建築のバランスだ。それを実現させた不動産デブロッパーの才覚には畏敬する。南カルフォルニアに話がもどるが、インデアンしか住まなかった、砂漠と山のパームスプリングとパームデザート地区を、白人は、かれらの住所を、大量のウイスキーと搾取のごとく交換した。そこを、朝鮮動乱と冷戦危期のころ、ときのヒーロー、アイゼンハワー大統領は、池をたくさんとりいれたゴルフ場銀座にしてしまった。原住民の末裔は現在、土地や富を持っていないが、聖書を手にしてくらしている。ハワイ民族の歴史とにている。温泉も湧き、設備もととのった大小ホテルも乱立しているが、やはり余生をすごしたいと思うところではなかった。気候は酷暑と初夏のくりかえしだ。樹林草花はすくなくサボテン天国、土木事業の人工美である。
コロラドで新しい村づくり?...私にはなんと表現したらよいのかわからない。流浪体験のなかで整理して、住居としての主観的な理想が、現実としてできているということである。しかし、それら邸宅に暮らす人々の文芸、音楽趣味など人生観にもふれてみたくなる。
仙台市は、世界の有名音楽家を招聘したり、ポップ、ジャズ、クラシックと、老いも若きもが音楽を楽しんでいる。市民ぐるみで盛り上がるのは七夕祭りだけではない。大欅並木の「定禅寺通り」では9月13日と14日にはジャズフェステイバルが開催され、アマ、プロがいろいろなジャンルにとりくみ、今年は580ものグループが参集した。これは今では市民の誇りになっている。
このさい、ひとつ景気活性策として音楽殿堂建設案の復活など、いかがなものであろう。
『個人は質素に社会は豊かに』と言って実行したのは、かつての財界総理、土光敏夫だった。米国では、最近そんな話は耳にしない。実業家カーネギーやロックフェラーのことは、今ではお伽噺となっている。余談だが、カーネギーホールの興行内容の質的衰退は、時代を表徴しているとおもう。若者のクラシックばなれは世界的な傾向だ。ひとつ、仙台がまきかえしに挑戦してみては...。
米国では、個人で超弩級イージス艦でもつくれるような預金、資産をもっている人がたくさんいるのに......豪華邸宅の客間、居間、寝室に、おかれる草木花と置物、絵画の想像を追っていると時を忘れる。裕福な社会と、家庭内の人間関係にも思いはひろがる。
むかし観たハリウッド映画『サンセット大通り』、名声回帰、維持の幻想で殺人事件の話。『ハイソサエテイ』、グレースケリーとビングクロスビーの演技や、それにルイアームストロングの、しゃがれ声とトランペットの響きまできこえる錯覚に包まれる。『我が道を行く』のビングの仕草と老神父の姿は、せんじつ亡くなった、グレゴリーペック主演の、あまたの作品とともに、よき面のアメリカの象徴だ。ほんとうの幸福をもとめるなら、あんがい中流か貧民のなかにこそ、その機会が、あふれているような気がする。
書き忘れてはならないことがある。カルフォルニアでもコロラドでも、数マイルごとにめだってあるのが、キリスト教の立派な教会建物だ。大きなビルは、弁護士事務所あっての存在といえるかも。
デンヴァー界隈も道路や地区の名前に、インデアンの言葉が多いから、ハワイと似たり因ったりの歴史があるのだろう。いままでに、縁のあった裕福な米国人が、いちように苦笑しながらつぶやいた言葉が鮮明にういてくる。「ビッグマニー ビッグトラブウ」「マニートーク」「タイム イズ マニー」と。
あのローマ帝国に思いがはせる。現在、世界制覇を目指さねばならない因果を撒いたヤンキーの偽りのない感慨であろう。わたしは、『貧は菩提のたね、富は輪廻のきずな』という諺をおもいだした。
コロラドの峰を崇めり積乱雲 晃通
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