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 シニアのための市民ネットワーク仙台のメンバーがSeniorNetのホームページを翻訳しています。SeniorNetの活動状況を紹介することで、日本におけるシニア世代のコンピューター活用環境をよりよいものにすることにつなげたいと思います。SeniorNetとの共同事業の一環で、翻訳・掲載にあたってはSeniorNetの許可を得ています。


 
パソコン 新しい世界を楽しむ
ローリー・ゴーグ Hgorg92307@ao.com
【ENGLISH】

  「これ以上よくならないでしょう」。抑揚のない事務的な言葉を聞いて私の気持は沈んでいった。

   あるときから私の耳は徐々に聴力を失ってきたが、私はひそかな希望を持ちつづけた。いつか、魔法のような治療法が考え出され,また耳が聞こえるようになる、そんな奇蹟が起きることを。でも耳鼻咽喉科の病院を出た時に私はもうわかっていた。そのような奇蹟は起きないのだと。耳が聞こえなくなっているのは耳の中に原因があるからです、と医者は言った。でも、私は年のせいだろうと思った。もう私は70歳近いし、なんといっても10代ではないのだから。でも,私と同じ年の人でもちゃんと聞こえる人はいるのに。

 聴覚学者の報告にはもっとがっかりした。まもなく私は、しばしばふさぎこむようになった。ゲームや映画も、声や音がとてつもなく大きいものでない限り、行くのをやめた。ビッドが聞こえないのではという理由だけで毎週のブリッジも抜けさせてもらった。日曜日に教会に行く時には最前列に座った。そして、社交的な集まりに行くことを避けるようになった。

   ある日昼食の席で、ウエイトレスにサラダのドレッシングは何がよいかと聞かれた時、私は「全粒粉」と答えた。パンの種類を聞かれたと思ったのだ。友人たちはとても面白がった。でも私は侮辱されたような気がした。補聴器は少しは役に立ったが、すぐに反響音で他の音が聞きにくくなり、その上まだ聞き取れる音までひずませるように思えた。

 孤独で,音のない世界だった。私は世をのろい、自分の世界にこもった。そうしたある日「何もすることがない。」と愚痴を言いつづける私にうんざりしていた従妹が、コンピューターをすすめてくれた。

 「無理だわ」私は反対した。「年を取りすぎているもの、そんな難しいこと覚えられないわ。電話番号を押すのでさえやっとなのよ」

 従妹は、あきらめずにコンピューターに関するいくつかの記事や広告を郵便で送ってきた。その一つは若い大学生の広告「お宅に伺ってコンピューターをセットアップし、あなたが使えるようにしてあげます。」というものだった。これは魅力的に思えた。少なくとも、たとえ私がばかげた事をしても、見ている人は誰もいないのだから。

 従妹の助言を聞いて、私はコンピューターを取りよせた。それから広告を出していた若い学生のポーラに電話をかけ予約をした。すでにたくさんの箱が届いていたが、私は開けることさえしていなかった。正直のところ、怖かったのだ。ポーラが私のアパートにやってきて、わたしたちは2時間おしゃべりをした。それからポーラはコンピューターを組み立て、ポーラのいうPCの基本的な使い方を教え始めた。

 限られた収入のシニアにとってポーラの指導料は安くはなかったが、助けてもらうために10セントを払うのは惜しくはなかった。そのころの私は学習センターやシニアネットのコンピュータークラスのことは知らなかった。けれども大慌てでポーラに何度も助けを求めているうちに、ポーラと私の間には友情が育っていった。だからポーラが大学を卒業して、別な町に就職した時は本当にがっかりした。

 はじめからコンピューターが楽しくて仕方がなかった。孤独を紛らわすにはeメールが使えるだけで十分だっただろう。しかし「ネットをサーフィン」し始めると,まったく新しい風景が私の前に開けた。私は意識的にシニア向けのサイトを探していたが、シニアネットに出会ったのはまったくの偶然だった。はじめ索引の種類が多いのと,面白い内容に驚いた。暫くの間はラウンド・テーブルの、あちこちの討論にもぐりこんでいたが、しばらくして参加することにした。会話がとても面白かったので、仲間に入ってすぐに、私の意見を他の人がどう思うか知りたかった。気に入りの場所がいくつか決まってきた。そこを定期的にたずねると、他の人たちが言っていることの一言一言が私には理解できるのだった!

 聴覚を失っても読書への情熱は変わらなかった。「本と文学」のセクションは最も心地のいい、心からくつろげる場所となった。毎日誰かれの書評を読んで最新の情報を手に入れ、少しだけ意見を言った。コンピューターに向かっていると、驚くほど時間が早く過ぎていくと感じる日がたびたびあった。私は会ったことのない、そして決して会うことのない世界中の人々と友達になった。

 私の耳があまり聞こえなくても、シニアネットでは誰も気にしなかったし、容姿を気にする人もいなかった。寒い朝、フランネルのローブを着、ふかふかのスリッパをはいてクリックするのはこの上なく幸せな時だった。

 私は、本を書きたいというささやかな願いを密かに持ち続けていた。その願いが「作家交歓会」のサイトを見つけたときに現実となった。そこでは、すでに出版経験のある人や自称作家のグループが、お互いの作品を批評しあっていた。このグループは、私のお気に入りの一つとなった。私は大恐慌について語り、同世代の人と第二次大戦の経験を同情しあい、今のシニアが直面している問題を話しあい、故郷について話す人の言葉に耳を傾けた。このすばらしいサイトで利用できることは無数にある。そして,インターネットを使えば耳の不自由な多くの人たちが、聞こえないことが気にならなくなると確信している。私がそうだったから。

 もう、私はアパートで一人音のない世界にこもって、変えようのないことをくよくよと考えこむことなどしない。そのような時間などないのだ。実際に、コンピューターを通して私は耳の悪い人や何らかの障害を持つ人の助けになる多くの方法を学んだ。コンピューターを使えるようになって私の人生は180度変わった。ああ、なんて幸せなんでしょう!

                             


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